エコロジーふとん専門ネットショップ グッスリー
2012/05/27
実感「超高齢化社会」
 超高齢化社会が猛スピードで進んでいる。
 テレビの公開放送の客席は殆どが高齢者という光景は普通となり、必ずと言っていいほど、旬が過ぎた芸能人数人で廻る観光地めぐり番組を見ると、観光客の殆どは高齢者という風景も日常である。
 結局の所、暇とお金のある多くは、高齢者という事実に辿りつくのである。
(先日、世界遺産マチュ・ピチュに行かれた70歳代のご夫婦にお会いした。
 BS放送などで毎日のように垂れ流される世界遺産番組で十分満足と、カミさんに言いはる私とは、根底から違うようである)

 と言っても高齢者も、、豊かな高齢者と、そうでは無い高齢者と、二極化が進んでいるのが実態である。
(若者といえば、豊かではない方向に一極化しつつあるのが、この国の悲しい未来かもしれない。・・・
 そうならないようにするのは政治家の仕事だが、正に何も決まらない政治が続いている)

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 零細企業を営む私は、会社の電話も自宅の電話も同じ電話番号である。
 朝7時前後に電話が鳴る事も、最近では珍しく無い。
(ちなみに店舗の開店時間は一応朝10時となっているが、田舎では全く意味をなしていない)

 朝5時から起きている高齢者の方にとっては、起床から2時間も待ってからの電話なのである。
 午前様に二日酔いの日に限ってそんな電話が来るのであるが・・・
 「何時だと思っているんだ!」なんて言おうものなら「何時まで寝ているつもりだ!」と叱られるに違いない。

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 最近少し不安になる事がある。
お客さんからの電話での問い合わせで、ご自宅に伺うと、志村けん扮する「あんだって〜?」風高齢者に遭遇する機会が確実に増えてきている。
(物凄い音量でテレビをつけているので、玄関チャイムを鳴らしても気付かない場合も少なくないから大変である)

「お色はどうされますか?」
 「じいさんは3年前に無くなったし」
「軽めにお作りしますか?」
 「最近、膝が痛くてね〜」

などと噛み合わない会話で、注文内容を確認しなければならない。
 やっとの事、ご注文を頂く訳だが、注文仕立て品などは、納期まで3〜4週間を頂く。
 不安とは、お届時に代金と引き替えに商品をお渡しするのであるが、「こんな注文をした覚えが無い」と言われるのではと一抹の不安を感じるのである。

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 父親が入院して、もうすぐ3ヶ月が経つ。
 満81歳、この間2回の手術をして一進一退を繰り返し、まだまだ掛かりそうである。
(今月初め、重湯・みそ汁・スープなどの完全流動食による食事が再開した時、母親が柏餅を食べさせると、「旨い」と喜んだようで、翌日また持って行くと「何だまた柏餅か」と言われ「せっかく喜ぶと思ってわざわざ買って行ったのに・・・」と母親がこぼしていた。
 と言うより、重湯が配膳されいる時に「餅」は無いだろう・・・)

 ここしばらく、現役の殆どを引退していた父親だが、ボケ防止?に、帳簿関係をしてもらっていた。
 父親が突然入院して、私がする事となる。

         UP

 と言っても零細企業であるから、1日1時間くらいの経理の時間を取れば済む程度の話であるが、日々他の所用に終われ、経理作業は後回し。
 振替伝票も10日分をまとめて起こす事もざらで、現金を合わせるのが月に1〜2度、現金出納帳残高と実際の現金残高が全く合わない事が恒常的である。(それじゃダメじゃん)

 さて、後期高齢者医療保険制度による先月の入院費の個人負担額は、2回目の手術代も含めて、4万8千円ほどであった。
 こんな金額で、父親への献身的な治療を行って頂いている事には感謝この上もないが、一方、これで国がもつのかとも思う複雑な心境でもある。
(入院しているわが街の市立病院の経営も大赤字で、毎年一般会計からの巨額な繰り入れ金で支えており、市町村国保からの後期高齢者保険への支援金も膨れ上がる一方であり、最初の入院費の明細を見た本人が「これでは日本国は破綻する!」と患者が嘆く始末である・・・)

 政府民主党は、マニフェストにあたった、後期高齢者医療保険制度の廃止を諦めていない。
 制度導入当時の名称や「年齢による差別」などという感情論はすっかり消え、定着したこの制度である。
 年金からの強制的な保険料の天引きと騒がれた特別徴収も、今になれば、別途収める手間も掛からず、これといった不満も聞こえなくなった。

 そもそも当時の感情的な世論を組み入れだけとしか思えないマニフェストを実現するという理由のみで改悪するのであれば正に本末転倒であり、無責任極まりない。
 仮に市町村国保、協会けんぽや健康保険組合などに、今さら後期高齢者部分を戻されれば、保険料の大幅アップと大混乱は必至である。
 私には、75歳になっても保険証が変わらないくらいのメリットしか想像出来ないのである。
 そもそも職場が変わったり、退職などにより健康保険が変わる事は日常の事であり、75歳という年齢で変わる事だけを、ことさら差別と決め付けるのはいかがなものだろうか?
(同じ年収でも、職場で加入する健康保険の種類や、国保の場合は住んでいる市町村により、全く保険料が異なる事の方が、余程差別的である。
 基本的には、保険料を払う本人には選択の余地が無いのにである。
・・・世界に冠たる国民皆保険と言われるが、今後の制度の維持も含めて、”怪保険”になりつつあるようだ。)

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 先日、父親の病室から戻ってきた母親が、私に尋ねた。

「あんた、爆発事件でテレビに出たんだって?」
 父親から、ヤクザがらみの爆発事件に巻き込まれて、私がテレビのニュースに出ていたと話を聞いて来たからだ。

 父親は、過去の古ケガから来る整形的痛みを抑えるために、最近強めの鎮痛剤が投与される事となった。
 鎮痛剤からくる幻覚的な言動が時々現れるである。

 父親は、「警察が病院にも来たから、俺は死んだフリをしたんだ・・・」
 大概、ここまで聞くと、幻覚と気付くはずであるが、後期高齢者の母親は、真顔で私に聞くのである。

 仮に本当だったとしたら、テレビに映る事よりも、爆発事件でのケガとか、ヤクザとの関係を心配をしてくれる方が先だと思うのだが・・・



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